苔むした岩
真っ黒な水

淵は遠く霞み
泥は足を阻む

憂いの沼が
泡とともに囁く


よ う こ そ


何時の間に落ちたのか
もう時さえ判らない

歪んだ視界
澱んだ牢獄

叫びさえ出ぬ
喉をつくは溜め息

灰色の沼の住人
濁った眼で問う


何処から来たね?


もう居場所さえも
忘れてしまった


烏が陰気な一声
こだまの自由な事!

枯れた草木
ざわめき静まる

亀が首を擡げた
嗄れ声で小さく


彼 が現れた!


深まる霧の向こう
主は静かに佇む


虫さえ動かぬ
泡さえ立たぬ

漆黒を超えた闇
彼の邪魔をしてはなるまい


彼は既に眼前
そびえ立ち見下ろし言う


お前は誰だね


踏みつぶされた蛙に同じな自分
ようやく出たのは掠れた音


何が起こったのか
沼の総てが襲い来る

息が出来ない
何も見えない

不意に黒い腕が
襟を掴み引き上げる

再びの静寂
目をあければ沼の主


名を持つ者よ
名を告げし者よ

自らの正体を知る者は
沼に囚われるに不相応である

汝は汝の自我を
抱えて地在る場所を歩め
己を忘れたその時は

改めて沼に来るが良い




小鳥の鳴き声
目が醒めゆく

足は自由に動き
阻む物はない

僕は瞳を閉じ
己の名を呟く




『      』




壁に掛かった時計が
朝の合図を世界に




忘れることなかれ
沼は常に傍に在る








無名の沼













2007/2/13